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那須与一の墓(なすのよいちのはか)

那須与一の墓

元暦2年(1185)2月19日、四国屋島の合戦で弱冠17才の那須与一は、扇の的を見事一矢で射落とした軍功により備中荏原荘など5ヵ所の領地を賜りました。
ここ井原市西江原町にある「与一公墳」は、荏原那須氏がその祖与一公をしのんで建てた供養墓です。この墓は古くから扇の的一射必中の故事にあやかって願い事がかなうと伝えられてきました。
近頃、特に高校・大学受験の合格を祈願すれば直ちにかなえられるといわれ、受験生や親たちのお参りが絶えません。
また、与一公を「公に一(志望校)を与える」と名の示すとおりに読めば大願成就するとも言われています。

基本情報

所在地岡山県井原市野上町
TEL0866-62-8850(問合せ先:井原市観光協会)

アクセス

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アクセス

【車】山陽自動車道笠岡ICより北へ50分

【電車】井原鉄道井原線井原駅よりタクシーで25分

駐車場普通車5台

那須与一(なすのよいち)

那須与一 那須与一は歴史上よく登場する「謎の多い人物」の1人です。生年も没年も正確なものは分かっておらず、与一の事跡は平家物語や源平盛衰記に書かれている事柄から想像するしかないのが実情です。
それによると、治承・寿永の乱(源平の合戦)において、源頼朝方に加わり源義経に従軍したそうです。元暦2年(1185年)の屋島の戦いでは、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とすなど功績を挙げ、源頼朝から5か所に荘園を賜ったそうです。
その5か所とは丹後国五賀荘・若狭国東宮荘・武蔵国太田荘・信濃国角豆荘・備中国後月郡荏原荘(現在の井原市)です。

与一は、残念なことに山城の国で病没して当地に来ることはなかったそうですが、その一族がこの地を支配していたことは事実であり、その居城である小菅城址、下向の途中に武事神・農事神として尊崇されている信濃の諏訪大社に参拝して、武運長久を祈願し、分霊勧請して建立した諏訪宮、那須与一の菩提寺永祥寺、扇の的を弓で射たときに「邪魔になる」と破り捨てた片袖を祀った袖神稲荷、一族の墓、そして那須与一公墓などが残されています。