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緒方研堂旧宅(おがたけんどうきゅうたく)

緒方研堂旧宅

幼少期は名を大戸郁蔵といい、同郷の先輩「山鳴大年」について漢学を学んだのちの緒方研堂の旧宅が現在も芳井町に残っています。
江戸に出てから蘭学を師事する緒方洪庵と兄弟の約束をして義弟となり、緒方研堂と名乗るようになりました。

  • 石碑
    石碑
  • 看板
    看板

基本情報

所在地岡山県井原市芳井町簗瀬
TEL0866-72-1324(問合せ先:芳井歴史民俗資料館)
TEL0866-63-3144(問合せ先:井原市文化財センター)

アクセス

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アクセス

【車】山陽自動車道笠岡ICより北へ35分

【電車】井原鉄道井原線井原駅よりタクシーで15分

駐車場無し

緒方研堂(おがたけんどう)

緒方研堂 1814生~1872没。
緒方研堂は、文化11年(1814)簗瀬村(現在の井原市芳井町簗瀬)に生まれました。幼い頃は大戸郁蔵といいました。
少年の頃、漢学者で蘭学医の山鳴大年について漢学を学びました。幼少の頃は腕白者で、勉強もしないで遊ぶばかりしていたので、父の大戸萬吉は「お前のようにいたずらばかりしていてはつまらないではないか」と言って叱っていました。
ところがふとしたことから読書が好きになり、暇さえあれば本を開いて読みふけるようになりました。
友人が辺りで楽しそうに遊んでいても、知らぬ顔で本を読み続けていました。あまりに動かないので、ネズミも彼を木像と思って側で遊び戯れるほどであったという逸話も残っています。

やがて大年のすすめによって大年の養子の弘斉と一緒に江戸に出て、漢学と蘭学を修めました。この時、二人は足守町(現岡山市)出身の緒方洪庵と初めて出会い、ここで洪庵はこの二人を特に可愛がり指導しました。その内、父の命によって一旦簗瀬に帰った研堂と弘斉は郷里の人々を集めて指導したり、医術を行っていました。

緒方洪庵が天保9年(1838)、大坂で蘭学医を開業したことを聞いて、二人は大いに喜び洪庵のところへはせ参じました。 そしてここで研堂は適塾(緒方洪庵の開いた塾)の塾頭となり、蘭学や医術を研究するかたわら門弟を教え、患者の治療の手助けをしました。
後年、洪庵は研堂と兄弟の約束をして義弟となり、緒方研堂と名乗りました。この親しい交わりは洪庵の没した文久3年(1863)まで約30年の長きに渡って続きました。

緒方研堂は、独笑軒という塾を大坂の南、河原町二丁目に開きました。それ以来、人々は洪庵の適塾を北の緒方、研堂の独笑軒を南の緒方と呼ぶようになりました。独笑軒は、緒方洪庵が江戸へ行ってからもその名声はますます高くなり栄えました。土佐藩主の山内容堂はこれを聞いて、藩士数名を送ってその指導を頼みました。

明治4年(1872)7月、病のために56歳で他界するまで、研堂の中には研究と治療しかありませんでした。
ちなみに、吉田茂内閣で副総理となった緒方竹虎は彼の孫にあたります。

※緒方研堂の肖像は「井笠路探訪」より転載しました。
※本文は「崑山片玉集」を参照・転載しました。